カテゴリ:街 あるき( 14 )

懸賞 懸賞

横浜で喫煙禁止 過料2千円

懸賞 2008年 01月 21日 懸賞




ひと仕事終えた後の一服のタバコ

しかし愛煙家
には

つらく、きつい環境がやってきた。

禁煙しているものにとって
最大の誘惑は
市内に氾濫する
タバコ販売。

横浜市条例の「喫煙禁止」に、
違反者から過料2000

神奈川県警OBなどの
嘱託職員14人が各地区を巡回させる


この間までタバコを吸っていた身としては
なんとも気の毒な思いです。

いまでも断煙、禁煙の闘いの日々です。
フッとタバコの魔の誘いのささやきが聞こえます。















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by hanehenID | 2008-01-21 15:16 | 街 あるき

消えていく建築  ピラミッド校舎

懸賞 2008年 01月 07日 懸賞



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建築家・前川國男は、
戦前・戦後を通して
日本の近代建築の歴史に
大きな足跡を残した


消えていく 日本の近代建築
残せるものなら
なんとか使いながら
保存しましょうよ。


学習院大学(東京都豊島区)目白キャンパスのシンボル
通称・ピラミッド校舎が、老朽化を理由に解体されることになった。

校舎は
前川国男氏(1905~86)が設計した作品。

前川氏は
近代建築の始祖とされるル・コルビュジエに学び、
代表作には東京都美術館(東京都台東区)や
国立西洋美術館新館(同)がある。

ピラミッド校舎は
60年8月に完成した。
頂点までの高さ25メートル、
一辺の長さ30メートルの四角すい形、
延べ床面積は900平方メートル。
内部は700人収容の教室として利用されてきた。

卒業生で同会副代表の末永航・広島女学院大教授(美術史)は
「学生たちにとってはキャンパスの要で、
世界的な価値があると思うので、
何とか残してほしい」と訴えている。

大学側は今月中に工事に着手し、
新しい教育研究棟に建て替える方針。











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by hanehenID | 2008-01-07 20:14 | 街 あるき

サッカーの神様 お願い

懸賞 2008年 01月 03日 懸賞

2008年は、岡田ジャパンが
ワールドカップ南アフリカ大会に向けて
病に倒れたイビチャ・オシム氏の後を受け、
本格始動する重要な年。

フランクフルトにいる高原さんもお参りに来たとか。

京都にあるサッカーの神様
蹴鞠(けまり)の宗家であった公家・飛鳥井家の屋敷の跡地。
白峯神宮

サッカーをはじめとして
スポーツ関係者の参詣も多いという。




京都・白峯神宮 ~サッカーの神様 お願い! | エキサイトニュース
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by hanehenID | 2008-01-03 15:56 | 街 あるき

スニーカーの中から 60万円 

懸賞 2007年 12月 23日 懸賞


スニーカーから お年玉 
スニーカーを購入しようと男性客の1人が思わぬ物を発見した。
ふと手に取ったスニーカーを試しに履こうとしたところ、
靴の中に現金約58万円が隠されているのを見つけた。

従業員らはこのスニーカーについて、
「誰かが一度購入したが、
返品されたもの」と話している。

現金は警察が一時預かることになった。







スニーカーを試しに履こうとしたら……中から現金約58万円が | Excite エキサイト
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by hanehenID | 2007-12-23 09:35 | 街 あるき

すべって 転んで

懸賞 2007年 04月 21日 懸賞


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急ぎすぎてすべって
うかつにも転んでしまった。
どうやらひざを傷めたようだ。


なんとか家までたどりつき
傷口の手当てをしたものの
しばらく、杖をたよりの歩行である。

ちょっとした段差にも立ち往生してしまう。
階段の上り下りには
痛みのはしるひざに力をいれて「よいしょ」と掛け声。

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足を怪我してはじめて知った足の大切さ。
”足るを知る”という言葉を思い出した。


私たちは日常どれだけ足をおろそかに
してきたか。

足に痛みを感じているとき
身体を横たえて夢想していた。

山の奥深くに
野草咲く野の小径
レンゲや菜の花畑
畑仕事のおばあちゃん
小川に架かった小さな木の橋。

傷もだいぶ癒えて 杖といっしょに散歩。
やはりスロースローが
いちばん性に合ってる自分を知った。


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by hanehenID | 2007-04-21 10:12 | 街 あるき

時代に取り残された 

懸賞 2005年 11月 14日 懸賞

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ふっと思った。

たまには目的を持たずに街にくりだしてみるのもいい

いつもは、勤めの行きかえりの決まった道ばかり。

休日などは、できるだけ野道や草花を見つけながらの歩き。

久しぶりの街歩きだった。

こんな所にこんな店があったかな。
のぞいてみる。
思い出がふっと頭のなかをかすめて飛んだ。

散歩をするときは身軽がいい。

古本屋からギャラリーや映画の看板を見たり。
ポップなアートショップや
レコード店をひやかして歩く。

歩き疲れたら紅茶にケーキ。
時にはすてきな人とすれ違うこともある。

カメラ屋さんの前でふと足が止まる。
陳列ガラスに顔をこすり付けるように中をのぞく。

並ぶデジタルカメラの列のうしろに
時代に取り残され、
淋しげに遠慮がちにひっそりと
フイルムカメラが控えていた。


古き良きものが、店からどんどん消えていくんだなあ、と実感した。

ぶらりふらりと歩く。

街歩きも、さ迷うよろこびがあるんだな。
表通りからはうかがい知れない
路地や裏道に迷いこんだりする。


路地の暗がりで
猫が不思議そうにこちらを見つめている。
こちらも見返してやる。

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by hanehenID | 2005-11-14 18:37 | 街 あるき

にがい顔して 

懸賞 2005年 06月 05日 懸賞

アメリカンコーヒーが、アメリカでなく
大阪の街から生まれたという話、知ってますか。

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昭和30年代、コーヒーは苦いものというのが定評でした。
大人が苦い顔して飲む、ちょっとキザな、通人の飲み物がコーヒーだった。

女性には苦すぎるところから、多くの人に飲み易い味を
考えていた店主が工夫を重ねた。

各種コーヒー豆の混ぜ方、ブレンド、いり方が研究された。
そこから、はんなりした薄味のおいしいコーヒーが生まれた。

さて、名前をどうするか。
西部劇映画の全盛。ションウエインの「駅馬車」。
カウボーイが飲むコーヒーを見て店主は、アメリカンと名つけた。


当時、コーヒー1杯の値段が180円。
サラリーマンの給料が約2万円だった。

コーヒーが出来上がると、客が見守るなか、
白のワイシャツに黒チョッキ姿の店主が、
いちばん先に香ばしい香りをかぐのが特権だとか。

アメリカンコーヒーは、このようにして生まれ、
その名前とともに東京や全国に伝わっていった。
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by hanehenID | 2005-06-05 16:47 | 街 あるき

こだわりの味 

懸賞 2005年 05月 31日 懸賞


10年ひと昔というが、ふた昔まえ、
あの頃は世の中は、まだゆったり流れていた。


越路吹雪のシャンソン「ばら色の人生」を聞きながら、
琥珀色(こはくいろ)を愉しみながらコーヒーを飲み、
忙中閑ありで、想いにふけったものである。
そこから詩がうまれ、短歌や俳句もうまれた。

最近はうまいコーヒーを飲ませる店がめっきり少なくなった。


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「昭和」のある時期、コーヒー1杯飲むのでもこだわりがあった。
「珈琲道」(コーヒー道)ということばがあった。
客にそれなりのこだわりがあるとすれば、
コーヒー屋の親父は一杯のコーヒーを入れるにも、
それ以上に職人的こだわりをもつ時代だった。


職人は、音楽、絵画にも、文学にも深い造詣を持ち、
客人と会話を持つ、ホンモノのプロフエナッショナルだった。


ネルの袋に入れたたっぷり目のコーヒーの粉。
沸騰した湯をゆっくり一滴一滴コーヒーの上から注ぐ。
コーヒーのアワがもくもく盛り上がってくる。
コーヒーの香りが周りいっぱいに広がった。



一杯50円。ほぼこの金額が日本全国どこへ行っても通り相場だった。


仕事がおわり、書店で本をのぞき、
気に入った本が手に入ると、
うきうきと一刻も早く本に目を通したい思いで、
喫茶店に立ち寄ることが多かった。

独りでモノを考えたり、
本を読んだりするには
静かで気兼ねなく過ごせた。


店内には、大声で話す客もなく、
わたしと同じように静かに本の活字に目をやる人や
原稿用紙にペンを走らせる人、
腕を組んで目を閉じ瞑想するひとなど
そこには独特な空気が漂っていて、まったくひとりになれた。
SP盤のレコードで
エディットピアフの「バラ色の人生」や
シャルル・トレネの「ラ・メール」
とか
シャンソンを聴かせる喫茶店、
ラテンやタンゴ、ジャズの専門喫茶もあったのだが、
シャボン玉のように都会の街かどからいつの間にか消えていた。

それはまさに、フイルムカメラがデジタルカメラに、
レコードがCDやDVDにいれ変わっていったように。

移り変りの激しいこの世の中に身を寄せる
ほんとうの男の居場所がなくなっていった。

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by hanehenID | 2005-05-31 22:46 | 街 あるき

オシャレに 年令はいらない

懸賞 2005年 05月 25日 懸賞

60年代にアイビールックを 日本に大流行させた仕掛け人、服飾デザイナーの
石津謙介さんを知らない人はないだろう。

ブレザーとボタンダウンのシャツに細身のスラックスという
米国東海岸の大学生のファッションを「アイビールック」として広く紹介した。

その石津謙介さんが急逝された。93才でした。

戦後10数年ほど経ったころの話ですが、
当時は男でもオシャレしてもいいんかいな、と思ったものです。

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このころ、戦後の47―49年ごろに生まれた団塊の世代が青春期を迎えていた。

64年の夏ごろ、このスタイルで東京・銀座の街角は、
アイビー・ルックに身を包んだ若者であふれた。
「みゆき族」と呼ばれVANの袋を抱えていた。社会現象にもなった。

あの頃の学生には、着るものといえば学生服しか知らない人も多かった。
その人達に「お洒落」と言う楽しみをVANは与えた。
あの時代の若者が着ていた学生服を、石津さんが脱がせたと言っても言い過ぎではない。

東京五輪の公式ブレザーなどのデザインも手掛け、そのパレードを見て日本人も格好いいじゃんと話題をさらった。

ファッションにとどまらず、食や住などのライフスタイルの在り方についても提言が多い。
「ファッションとは衣食住、ライフスタイル全般のこと」が持論だった。

いまでこそ、台所で男性がおいしい料理にお熱を上げても不思議でない
風景になったが、まだ亭主関白の名残りのある時代に、
週末には台所に立って家庭グルメに腕を振るう趣味人でもあった。

服装などを選ぶ際の条件として「TPO」(時・所・場合)という言葉をつくり、はやらせたことでも知られる。

「プレイボーイに必要なことは、ダンディズムなんだ。
日本にも〃粋〃というコトバがある。あれですよ。
本当に紳士的に振る舞うにはスピリットがなければダメ。
軟派な連中とは違うんだ」

「お洒落は若い人たちだけのものじゃない。
これからは、40歳以上の世代が日本のファッションリーダーにならなければいけない
と僕は思っている」

高齢の彼に元気の秘訣を聞いたら石津謙介らしいコトバが返ってきた。
まずストレスをためないこと。あれを食べてはいけないとか、塩分に気をつけるとか
運動するとかそんな自分に負担になるようなことは、一切やらない。
気が重いことも、いやなことも一切やらない。

食べたいときに、食べたい物を、食べたいだけ食べる。
着る物だって、人がなんと言おうが好きな物を着る。
後は、そうだな・・・。いつまでもチャーミングな女性に興味を持ち続けることかな・・・・。

「僕は流行は作らないよ。風俗を作りたいんだ」とよく語っていたそうである。
この言葉を全うして、まさに男の美学を地でいった人生を送られた。

著書に「男のお洒落実用学」「食べて極楽、作って悦楽」などがある。
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by hanehenID | 2005-05-25 16:04 | 街 あるき

居場所は どこに

懸賞 2005年 03月 18日 懸賞



当時のふつうの喫茶店が300円ぐらいの時代に、
コーヒー一杯1000円とビックリする値段ではあったが、
知る人ぞ知る新宿の喫茶店である。
普通の喫茶店にはない落ち着いた雰囲気とゴージャスな感じの店だった。
特別に気分を変えたいときなどに利用するわたしにはハイクラスな喫茶店だった。
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コーヒー一杯の値段としては高く、フトコロには痛かったが、
家路につくまえの開放感を感じた時間に、
独りでモノを考えたり、
本を読んだりするには
静かで気兼ねなく過ごせた。

店内には、大声で話す客もなく、
わたしと同じように静かに本の活字に目をやる人や
原稿用紙にペンを走らせる人、
腕を組んで目を閉じ思考するひとなど
そこには独特な空気が漂っていてひとりになれた。

うまく表現できないが、「平成」にはあまり見かけなくなった、
「昭和」のある時期のふんいきがあった。
仕事がおわり、紀伊国屋書店で本をのぞき、
気に入った本が手に入ると、
うきうきと一刻も早く本に目を通したい思いで、
立ち寄ることが多かった。

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地方から上京すると新宿へ自然に足が向いた。
なじみのひと通りのコースを歩くと、
この店でコーヒーを飲んでひと休み。
ゆったりとしたソファや静かなBGMなど、
何年ぶりに東京に出てきても、
この喫茶店のふんいきが昔となんら変わっていないところが
ホッとさせてくれたものだ。

そういえば若かりし頃、新宿裏通りには、
SP盤レコードでバラ色の人生やシャルル・トレネのラ・メールとか
シャンソンを聴かせる喫茶店やジャズの専門喫茶もあったのだが、
シャボン玉のように都会の街かどからいつの間にか消えていった。

それはまさに、フイルムカメラがデジタルカメラに、
レコードがCDやMDにいれ変わっていったように。

移り変りの激しいこの世の中にまた一つ身を寄せる男の居場所を失ったようだ。


消えゆく老舗、喫茶店「談話室滝沢」が歴史に幕、と読売新聞が報じた。

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by hanehenID | 2005-03-18 18:46 | 街 あるき